2018年04月23日

始まった教科「道徳」

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一つの価値観に導くのではないという授業へ・・今年から「道徳」が入ってきた。
一つのストーリーを元に児童に考えさせるというけれど。

家族愛についての授業では、多様な家族がある現代社会の中で、しかも両親が揃っているとばかりではない折、母親の家事労働は無償の愛であるべきかどうかというテーマで・・
これってつらい子もいたんじゃない?

現代社会の中で取り上げている「アンペイドワーク(無償労働)」が、子どもらにとって、今日のストーリから家族愛を一つの価値に導くのではないことが、どれほど難しいことか。
共働きの家庭にいる子が、みなと違う意見をにとりで出したが、笑いに似た声と空気が流れた。
この男児は、じわーっと涙を出して頬に流れた。そのあと洗面所で顔を濡らす姿には、この授業がどうであったのか、後で教師がどのような言葉を掛けたのか聞きたいと思ってみていた。

昔の修身の反省から現代の教科には教育勅語はない。
その代わりではないけれど、大津の「いじめ自殺」があってから、「道徳」が叫ばれるようになった経緯がある。  

「国や郷土」を愛する授業もあるが、日本人ではない子が今では相当いる学校で、国際感覚から言えばいかに多文化共生とづれることかと尾木先生は話していた。これには私も共感する点です。

規範意識の高揚についても、教科書に沿った授業で一つの価値に導いたり、そこに落とし込むのは難しいし、絶対に誘導してはならないと思って見ていた。

価値観の押しつけにならないことは、教師自身も悩むけれど、国の選定教科書に沿った指導だけをする楽な進め方なら何も迷うこともない。ここが怖いところだと思われる。

教師自身が教科書の落としどころに沿ってしまうことで、悩みストレスを積むことにならないかと思われる、教師の力量が問われることとなるでしょう。

多様なものの見方をし、考え続けられるのがいいのであって、これからの授業の展開がどうなるのかと・・。

先生の期待する答えをしいい子に振る舞うと、自分と違う言動に児童自身にもストレスが起きるでしょう、
みなと違う答えを出して、笑いからいじめになるかもしれず、この「道徳」の授業でかえっていじめが起きるかもしれない。 
いじめをなくすことから始めるという「道徳」が、いじめを増やしかねないかと、識者も危惧していることが見え隠れする。価値観が一つにならないこと、押し付けの意識の刷り込みになってはならない。

内心の評価は数字でつけないというけれど、文章評価で子どもがどう受け取りどう感じるか、かなりの負担が教師にはあると思われる。

22時からのNHK「道徳が正式な教科に密着・迷いと涙の教室」を見た感想です。
posted by fusako at 23:18| 日記