2008年12月09日

戦艦大和  呉のミュージアム

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 呉港と10分の一に造られた戦艦大和


11月の末に、平和人権ツアーで瀬戸内海方面へ行って参りました。呉の大和ミュージアムには26メートルの巨大な大和が展示してあり、他にも大和にまつわる物が展示していました。
来る人に戦争の怖さや、繰り返してはならないことを受けとってもらいたいと思いました。
「かっこいい!」と見て思われるかもしれません。この中にいた日本軍は3000人余り、絶対に沈没しないと言われたけれど撃墜され沈んでいます。この船の技術は戦後自動車や、家電に活かされ、それほど高度な技術をあの当時に備えていたのです。
新幹線の前の流線型は、大和が波をまともに受けない技術を使っていましたがこれを取り入れられています。昔新幹線の前の部分の仕事を自動車製造に関わっていた夫は、自分たちでやったたのだと誇らしげに言っていた事を思い出しました。今冷蔵庫の冷凍室は殆ど家庭に使われていますが、食料保存にはすでに大和にはあったのです。他にも今の便利な物は此処にあった技術が多いといわれていました。
美容室の雑誌に調度この記事がありました。製造に関わられた職人さんの事です。初めは10分の一の船を造るくらいならと意外に簡単に思ったところ少ない資料から再現するのには苦労があり、その上この船に乗って、散った人たちのことを思うにつけ段々と考えが変わったと言われています。見学に来た遺族の方や、同じ乗り組みをして生きて帰ったことを恥ずかしく、又戦友を思い泣き崩れる人を見て造る思いは一段と変化し、平和を祈る気持ちで完成に皆で誓ったようでした。

戦争の悲惨な事を、語り継ぐ人が減ってきていますし、もう話したくない人もおられます。今は毎日屋根の下で暮らせる人のほうが多いですが、職の無い人や低賃金で苦しんでおられる人、就職内定の取り消しなど不安定な社会に成り、国会ではこれからどうなるのかと国民向いて仕事をしてもらいたいと・・・

夫たちは仕事人間で来ました。女性は支える側で来ましたが、昔NHKのプロジェクトXの番組を男性型には人気があったように思います。それを支える家庭の女性のことは表には出ていませんし、女性の主になる物は赤松良子さんらの男女雇用機会均等法と、2〜3人位しか取上げませんでした。

ツアーで広島に入った時、ドームを見たり、他人様の墓地に入らせて貰い手を合わせながら歩いて、割れて焼け焦げた墓石を見て、ジーンと来ました。
夫の父は原爆で亡くなっています。鳥取県倉吉市の開業医でしたが、軍医として終戦僅か前に広島の陸軍病院へ配属になりそこで朝礼中に被爆して、2週間ほどしてなくなったと3年位前に依頼していた新聞社の人によって判明し当時の事を聞いています。ご遺体は丸太を並べるように学校の講堂にずらーっと赤チンをつけて、並べられていたそうです。
その後、夫の家族の苦労は筆舌に尽くせないもので、生存中に村人に良くされてこられたのでしょう,多くの地域の人にお世話になってきたと夫は言います。皆も食料困難な時に助けてくださる事は、計り知れない心の温かさです。
絶対に戦争は繰り返すことの無いように・・・・戦争は最大の人権侵害だと思います。私はこのことが市民活動の要因でもあります。
今の社会で住みやすいでしょうか。何だか変に感じる時は無いですか。いつも私は問いかける事があります。そして日々感謝と学習です・・・・


posted by fusako at 22:19| Comment(0) | 日記
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